メンタル予防にいつも見るYouTube動画で、ようやく腑に落ちた理屈がある。
自分の事をいい人だと思い込むと嫌な奴らとしか関われない仕組み。
これは確かに、ある。嫌な人間と関わるしかできない時は、自分の嫌な部分だとか欠点を受け入れられない時。そして自分をいい人だと何故か盲信している。
自分をいい人だと思い込むと、猛毒の地獄がやってきたのは確かだ。いい人ってまずは何だ。。例えるならただ優しいだけの無力な人間、嫌な奴らを引き寄せる恐ろしい被害者像である。
自己評価は低ければ低いだけ正解。
自己評価がバグってしまうと対人面に地獄が来る。自己評価が低くくても自分を優しいいい人だと信じてしまったら、自己評価バリアは効かなくなる。
自分はろくでもない、悪い奴だ、と自覚していると悪い奴らに囲まれずに済む仕組みらしい。
自分を優しいいい人と勘違いする事が、もう呪いみたいなレベルの話だった…この強烈な呪いの怖さは散々体験してきた。
自分を嫌な人間だと自覚しないと、いい人のような勘違いをしてしまう仕組みがある。頭が回らないから結局、周りはみんな敵になる地獄の仕組み。悪い奴になれないならいい人になるしかない。
自分を嫌な奴だとたくさん自覚する事が、様々なトラウマから自分を守る。そして自己評価はより低く、色々改善しなきゃならない、とする。
自己評価は低い方が素晴らしい。
自己評価が高いのは恥ずかしい事である。
他人が評価してなんぼの物を、自分の狭い視野で高いと勘違いするのは、確かに恐ろしい。
自分を嫌いでも自己評価が低い事にならない。
自分を嫌いだと無意識にいい人になりがちだから、自分を守れなくなる。いい人と言うのは捕食対象、防御力ゼロで攻撃を受ける事になる。
自己評価を低い事で、この呪いの猛毒から逃げる事ができる仕組みを活用するしかない。
自分を好きになるとかいい人のメリットは無し、自己評価低く、自分の欠点を自覚する事。
自己評価が低いほど努力し、伸びていく。
一流アスリート、終いにはキリストが自己評価が究極に低いとなる。
とにかく無知や無力でいい人役なんかに酔ってしまうのは生き地獄。いかに自分が狡くて嫌な人間なのか、その狡さしか自分を守れないのが現実。生まれつき狡さがないと悲惨な思いをする。いい人かどうかの価値にしがみつくと生き地獄が待っている。
自分で自分をいい人だと勘違いしたら、それを証明する様に悪い奴らとしか関われない地獄が来る。それを避けるには自分がいかに嫌な奴か、嘘ばっかで不真面目で欠陥だらけか。自己評価の低さを認められたら、嫌な人間との関わりから免れる。