忘れがちなビバッサナ瞑想の、好きで苦しんでいる、と言う自覚、がトラウマ対策に理に適っている。
これが習慣化したら、とんでもない事になるぞ!と期待して2年くらい前にこのブログに書いたが、未だに浸透せず、ようやく最近思い出すレベルに。
嫌な記憶が未だにフラッシュバックしては、様々な時代の様々の意地悪人間たちの厄介な攻撃の記憶から不愉快さでダメージ、
慢性的にエネルギーが削られ続げてしまう厄介過ぎる鬱症状。
そのストレスで脳が損傷を受けていつまでも治らない、セロトニンが出にくくなりトラウマにエネルギーが回りやすい仕組みに至る。
それを好きで苦しんでやっている、と自覚させる。私は苦しんでいたいのだ。
今思うと結構私は恵まれていたんだな、と思う節がある。しかし幸せになるルートは全て自ら蹴った。。
その愚かさに苦しんでいたのだが、、
ここで自覚。
だって幸せになってしまったら、困るだろうが。苦しんでいたいのに。。と言う逆説的に病むと、理に適っている。。
苦しんでいたい、苦しむ世界から出れない、知らない場所にはいけない、と自分を守る。
まるで所持金が足りない、切符はここまでしかないから変われない…それが自分を守る厄介さ…
だから嫌な奴らの嫌な記憶に依存する。
嫌な奴らによって不愉快、不自由である事が好きなのは、それには金も労力もかからない。いくらでも不快なトラウマは湧き上がり、それから免れるには金や労力がかかる。それしか知らないし、今までそこにいたのだから未来にも同じ不愉快さが必要なのだ。。
自分を守るメリットは何なのか。
嫌な奴らは私にダメージや苦しさを与えるが、壊しはしない。ダメージや苦しさがより強固な駄目な自分として出来上がる厄介さしかない。
これらのトラウマから解放されている時しか生きてる意味はないのに、好きで苦しんでいる自覚が必要。
そこまでしないとこの厄介でメリットが何もないトラウマ地獄から出れない。このトラウマ地獄に負けた時、本格的な害が出る。
それが自傷行為だったり服毒だったり、自分を殺しに行く発狂地獄。
最初から地獄にいたのだ。クリアできないと更に地獄、、人間に生まれたり日本に生まれただけラッキーだとしても、周りが敵しかいない地獄なら救いはない。自分より過酷な人と比べて安堵しても解決にならない。
好きで苦しんでいる地獄。
それを自覚できたら地獄で溺れない。
好きかどうかは置いといて、苦しみに執着している。苦しむ習慣を止めるには、苦しみの習慣化を自覚する。
夢の中で夢だと自覚するみたいだ。
イライラする前に酒を飲んだりYouTube聴きまくるのはまさに自覚。
イライラしてトラウマ地獄に行く事を自覚しているから別に好きでもない酒を買っていた。
私はイライラして耐えられない、と理解している。トラウマに必要な言葉が必要である。
トラウマ地獄に行ったら呟くセリフを決めねばならない。好きで苦しんでいる、まだ苦しみに執着していたい、とかだろうか。