要点は、こんな価値がない私なのに、周りはなんて優しいのだろう!と言う思考が大事だった。
そして自分は悪い奴だ、と自覚する。
自分がいい人かどうか、善人が否か、それに意識がいくと恐ろしい呪いのように、嫌な人間との関わりが強烈になる。
いい人の役割をやると嫌な他人が攻撃しにきて、嫌な自分を自覚すると周りがいい人ばかりになるらしい。。
最初から家庭が嫌な人間だらけ、と言うスタートの人もたくさんいる。だからこそこの思考を身につけたら嫌な家族とも疎遠になれる。
嫌な他人に依存しないと存在できない厄介な生き地獄を早めに終わらせるには、好きで苦しんでいる説だけでは足りない。自分は嫌なダメ人間だし、その割には恵まれている思考を追加。
ゴミみたいな地獄な過去を生きてた割に、私は確かに恵まれていた時期あったなぁ、と思い返す事がある。しかしいつまでも救いがなく苦しいだけの時期は本当に長い。
自分は嫌な人間と自覚したいと、周りが良い人間しか関わらなくなれるように意図的に思い込もうとするなんて確かに嫌な人間ではある。。
搾取されるだけの良い人になるくらいなら死んだ方マシ、くらいのマインドも必要。いい人にはいい人に接し、クズには拒絶が正解なのに、それすらわからないような誰にもいい人は確かに病んでいる…
早目に自分の悪さ、欠点を自覚して受け入れて、自己評価は低く要領よく生きれるようになりたい。
自分がいい人で優しくありたくても、所詮は肉を食べないと生きる事が困難な種族に生まれてきたのだ。最初から無理がある。
いい人を演じて悦に入る気持ち悪い奴も見てきたが、本当にそうゆう奴らは人間として魅力の低いクズに多い。
嫌な奴の癖にいい人でいたいと言う独特のぶりっこ的なあの気持ち悪さはクズじゃないと発生できない…
偽善のいい人エネルギーは不幸しか生まない。
それに対し、自分が嫌な奴だと自覚すると少し安堵感がある。嫌な奴で更に強くて狡さもあったら、すごく安心する。