逃げるのにはエネルギーと策略、知能が必要だった。DV受けた妻や子がなかなか出ていかないと言う話は、だから安易にあり得る。
家族なら思考や習慣が癒着してしまう。だから不愉快でも変われない。
逃げる事が正解だと、なかなか辿り着かない。
そして逃げる事は現実と対峙する、戦いでもあるから中々出来ない人が多い。
母と一緒にいるのが辛い為、しばらく嘘ついて旅行に行ってきたから耐えられた。
私がイライラが止まらず怒鳴り散らしたり奇声を上げたりする事はなくなったが、幼い娘は相変わらず凶暴。
昨日も鏡投げつけ、祖母を負傷させる。
それでも不登校、長き保育園への不登園はついにピリオド。
娘の癇癪は2歳位が酷かったが、3歳以降にはうまい事に母子寮とアリバイ工作して旅行に連れ回す事で結果的に収まる。もちろん金はかかるが、こうしないと親子共に発狂する。。
娘の癇癪の発狂具合が外出の度合いで変わる感じが、ストレスから来ている感じとすぐに分かる。それは親の私も全く同じですぐに共感した。
狭い地元を車無しで三年もウロウロ…どこへ行っても全く気分はリフレッシュされない。
私が子どもの頃は何でもかんでも我慢した。だからこそ、我慢の害悪さを知っている。子どもの我儘を聞いてやる事がいかに大事か、我慢ばかりさせる子育ては心が育たない為、もはや子育てではない。
母は経済DV父を養い、今は亡き祖母に3人の子育てを任せた。
口達者でコミュ力化け物の祖母がかわいそうで離婚が遅くなる。
結果、私は貧しさで我慢に慣れて無気力鬱。そして祖母の体調を気にする負債や家事はもはや、今で言うヤングケアラーだった。
不味い飯で肉体は育つが、発散先も居場所もなく精神は不安定、結果的に孤独地獄。
過酷な学校と言う差別制度で毎日心を殺され続ける地獄を体験し、いたくもない地元にいるせいかトラウマのフラッシュバックは未だにリアルである。
幸い、娘はコミュ力化け物。だからこそ癇癪があり攻撃的である。その癇癪がもう正解。
苦しいと伝えて抵抗している。
鬱気質のせいもあり、何でも我慢し諦める生き方を私はすぐに受け入れたが、それは薄めた毒を飲まされて慣れさせるだけの生き方だった。
毒により、逃げる事をしなくなる。物理的に逃げる事は現実との対峙、我慢する事が実は自分を殺して苦しみに耐える事を許す逃げである。
悪気はなくてもこんな家庭で我慢ばかりさせた母との同居は発狂するのが普通。
発狂するのが普通と自覚すると少しは上手くやれるのはあるが、そんな甘くはない。