残暑が終わりついに11月。あれから変化としては、娘は劇的な進歩で不登園終わる。
ダラダラ遊んでいた長い期間が一気に終われた。不登園するなら娘の祖母に見てもらう作戦に出るのが吉だった。
それから今までの苦労は何だったのか位に劇的な進化、娘のサボリ癖や保育園行きたくないは一気に改善される。我儘で癇癪持ち、保育園には仮病を使うわ、行くようになったら骨折してまた不登園。
しかし保育園も次は卒園。6年も通う中、途中不登園で本格的に退園まで追い込まれたが保育園が譲歩して継続。
あまりに不登園が長すぎて娘の情緒は赤ちゃんのまま止まっているのもあるが、それでも保育園に毎日通いたいと自らいう位に成長したのだ。
不登園の原因は親の私の鬱から来ている。無気力鬱で娘に不登園のきっかけを与えてしまった。ベビーカーに押し込めないサイズになってから手に追えなくなった。
そこから無気力が長引くが、何とか車を用意したあたりで、娘は保育園に通う意識が芽生えた気がする。それまで娘の機嫌取りで毎日ベビーカーで街まで通う地獄から、一気に便利な車は確かに天国だった。
しかし中年から車の免許取り、今に至るまでは楽ではない…事故も経験し、死ぬかも知れないレベルの事故で車のリースを解約した。その後も人身事故は一度も無いのが救い。
リースした車を返す日に、娘をバモスに乗せた。時間になり係の人がきた時に車バイバイ。娘には酷な事をしたが、事故のトラウマで子どもを乗せる運転は断念。
それから次に今のタントに初めて娘を乗せた頃、一年前だが今よりずっと小さく軽かった。今はもう6歳、情緒はまだまだ幼いがとにかくデカい…
そんな苦労もあって、今は車が楽過ぎて手放せない。