変われない事に依存して変わらない頑固さを自覚の壁まで来た。この壁が重いから、変われない。逆に言えばこの変われない自覚が出来れば変われるようになる。
だからこそ長年変われない。車の免許も車乗れるまでも人の倍は掛かっている。卒業まで8ヶ月、最終試験は3回かかり、最後にミスしたが試験官の情けで合格。とにかく車の免許取るまでも長年グダグダして後回しにした。
車乗るべきじゃないレベルに習得が遅かったが、慣れたら車が最高過ぎて手放せない…娯楽がない為、運転が一番の娯楽になった。
車に乗れるようになっても、無意識レベルの頑固な厄介さは変わらない。その厄介さを自覚できるようになっただけ。乗れなきゃますます頑固に変わらないだけ。車に乗れないと引越しの時に詰むのを知っているし、選択肢の少なさに悩まされる…
変われない事に対する依存を自覚したら、変わりやすくなる。母のせいにしてきた変われない依存を自覚すると、母にイライラしにくくなる。イライラしてでも絶対に同居を手放せない仕組みを長年仕込まされてきた。
とにかく我慢して自分がどうしたいのかを殺し続ける事しかない家庭の弊害はキツい。母に悪気はないが、機能不全家族を押し付けられて生きにくさだけを仕込まされた恨みでいつまでもやる気が出ない。
ずっとイライラしながら変われない事が仕返しになっているのもあるが、とにかく変われない無気力さがキツい。
感謝さえできたら大嫌いな地元から出ていけると期待したが、まずは変われない頑固な依存があると知ると無理やり感謝する効率の悪さがわかる。
大嫌いだが出て行けない。変われない事に依存しているし、変われない事しか選べない。選べない、と言う事がポイントかも知れない。
選択肢なんか最初から無くて、選べないから今がある。悪い方、嫌な方しかない。良いものは選べないように仕組まれ、ガッカリする事だけが道になっているようだ。
ガッカリする記憶を幼少期から仕込まれたから自分の家族が憎い。ガッカリしながら我慢して生きる事しかないまま大人になれば、鬱になり詰む。だから家族と一緒に暮らさない事だけが生き甲斐となっていたが、生きにくさの闇は必ずガッカリする現実だけに流れ着く。
それを自覚して、変われない依存を自覚するしかない。変われない事しか知らないのだ。ある程度は変われるが、そこから壁がある…
どうすればいいか分からない弊害の壁が厄介だから、やる事リストを習慣化させる。
やる事リストを嫌でも毎日やるとどうすれば良いか分からない壁は崩せる。カバンの整理にスマホの充電、明日の用意という流れを作ると何故か早起きできるようになった。
変われない事でバランスを取る厄介過ぎる現状維持を崩すには、地味ながらスケジュール帳を持ち歩き、やる事リストとスケジュールを書き出す習慣を持つ事である。